「ハニートラップ」論は、「泥棒と施錠」理論で論破せよ

ハラスメント

最近の「セクハラ祭り」の中で、にわかに浮上してきた「ハニートラップ」論。

そんな話で片づけられたら敵わんわ、という怒りの声は当然だが、思わずウンウンとうなずきたくなる悲しき性も、男として分らんではない。

さて、どう考えるべきか。

明石家さんま的「ハニートラップ」

「ハニートラップ」という語については、ここしばらく明石家さんま氏が自虐ネタとして繰り返していて、今回盛んに「ハニートラップ」と言われてるのは、そのせいなんじゃないかとすら思ってるのだが、少なくともそれまではスパイかなんかの世界の話だというふうにしか認識されていなかったように思う。

つまり、今世に言われている「ハニートラップ」論なるものは、せいぜい

あそこの喫茶店、キレイな子ばっかりそろえててさぁ、ついつい通っちゃうよね

的なことの延長線上にあるという程度の話でしかないんだろう。

マスコミの世界ではハニートラップが蔓延している。汚いなさすがマスゴミきたない

と糾弾するような御仁だって、会社では

ウチの営業も、若くてキレイなの揃えませんとなぁ

とか言ってたりするかもしれない。そういう意味では、悲しいことに、今の日本の会社の大半は、テレビ朝日と五十歩百歩なんじゃないかと思うのだが、いかがだろうか。

ウチの店だって、「若くてキレイな」とはいわないが、気立ての良い看板娘が欲しいもんだ。

まぁとにかく、今回の件、別の見方をすれば、「ハニートラップ」と騒げば騒ぐほど、そんな「日常に潜む性搾取」を顕在化させてしまう可能性もあって、なかなか根が深い。

財務次官、山口メンバー、どちらの件についても、セクハラそのものを引き出して事件化するための罠、つまり、「ガチのハニートラップ」としての見立てがあるようだが、まだまだ何とも言えないし、そもそも本稿の趣旨とはズレるので、ここではそれに触れない。
ただそうだとしたら、財務次官に関しては、官僚としての資質に著しく欠けるとしか言いようがない。日本政府の情報セキュリティなどあってないようなものじゃないか。

鍵をかけずにいたところに、泥棒が入りました

さて、本題に入ろう。ちょっとした思考実験をこしらえたので、しばしお考えいただきたい。

あなたは、どういう訳か、外出時に鍵をかけない人物だったとする。
もちろん周囲の者は幾度となく注意はしていた。
その日も施錠をせずに外出したが、ついに泥棒に入られてしまった。
さて、責められるべきは誰だろうか。

もちろんあなたは周囲の者、例えば田舎のオカンに、

ほら、言わんこっちゃない!

だからあれだけ鍵はかけろと言ったでしょう!

と怒られるだろう。

では、悪いのはあなたか?

確かにあなたは、オカンはじめ今まで心配して注意してくれた人に申し訳が立たないだろう。オカンに怒られるのは当たり前である

泥棒が責められずに、あなたが責められる?!

しかし、オカンにはここで気付かねばならないことがある。

それは、そもそもあなたの家からモノを盗むのは泥棒で、だからこそ施錠の必要性と、オカンがあなたを心配しなければならない状況が生じた、ということだ。決して、あなたが鍵をかけなかったから泥棒が入った、という因果関係で語られるべきではないのである。

つまり、本来オカンが第一に糾弾すべきは、泥棒である。そして、法でもって罪に問われるべきも泥棒である。間違ってもあなたではない。

もしもオカンがこのことに一向に思い至らないまま、ひたすらあなたのみを責め続けたなら、あなたはオカンに対して何を思うだろうか。

いや、オカンだけならまだしも、この事件が報道された途端、世間から口々に

鍵をかけないこの人が悪い

泥棒は乗せられただけだ

などと責められようものなら、あまりにも世知辛いというものである。

 「悪事」と「自己防衛」

ここで整理すると、「ハニートラップ」論とは、

「自己防衛」を要請しているのは「悪事」である
という因果関係を理解していない、あるいは認めようとしないことから起こる錯誤である、ということである。

それは、自己防衛を怠ったからといって、引き起こされた悪事を相殺することはできない、ということを意味する。

ではなせあなたのオカンはあなたを責めたのか?自己防衛を怠ったのはやはり悪だったからか?そうではない。施錠しなかった理由がただの怠慢であったならば、あなたが愚かだったからに過ぎない

つまり、

「悪事」と、それに対する「自己防衛を怠ること」は、同列に語ることはできない

ということである。カテゴリーが違うのだ。

もちろん「愚かさ」は、法によって裁かれるものではなく、ましてや、見ず知らずの人間が糾弾するなど、全くもって大きなお世話である。

無防備であればセクハラされて当然?!

ここでセクハラに立ち返ろう。

「ハニートラップ」論者は、

女がのこのこやって来るのが悪い

とか、

男を誘うような恰好をする方が悪い

とか言ってくるわけだが、もうお分かりだろう。

基本的に彼らは「自己防衛の怠慢」と「防がれるべき悪事」が交換できるという考えを持っている。それ自体が誤謬なのだ。

仮に、被害者は確かにのこのこやって来て、無邪気にも肌の露出の多い恰好をしていたとしよう。その被害者は愚かかもしれないが、だったからセクハラされて当然なのか?愚かな者は悪事を働かれてもやむを得ないのか?答えはノーだ

いろんな問題に応用できる「泥棒と施錠」理論

このロジックは、なにもセクハラ問題にしか適用できないわけではない。

例えば、学校でのいじめ。いじめられるようなことをするから、いじめられるのだ、いじめの原因は、いじめられる側にもある、というような論。そうではない。いじめる人間がいるから、いじめられないように振舞うしかない。それができなければ、いじめられる

いじめの原因は、いじめる側にしかないのだ。そもそも「原因」という言葉の意味は、そういうことである。

本人や身近なものの立場として、当然自己防衛の必要性は認識しておくべきであろう。格闘技を心得ておくことは予防に有効だし、いざいじめられたときには複数の立場の大人に相談するのが良い。しかし、仮にこれらのことがなされていない中でいじめが起こったからといって、赤の他人である我々に、それを糾弾する資格はない。

まとめ

巷に流布する「ハニートラップ」論なるもの、「泥棒と施錠」のたとえで考えると、いかに一方的な屁理屈かお判りいただけたと思う。

そりゃ確かに、然るべきシチュエーションで無防備な美女とグラスを傾けるようなことがあれば、「胸触っていい?」と聞いてしまいたくなる気持ちもあろうかと思う。しかし、あなたの脳内で「そんな気にさせる君がいけないんだ」という言い訳がよぎるようであれば、自分は「泥棒」ではないかどうか、一度冷静にお考えいただくことをお勧めする。

…それにしても、明石家さんまという芸人は、これまでも数々のキーワードを世に放ち、世間に定着させてきたが、その世相を先取りするかのような鋭敏な感性には、いつもながら驚かされるのである。

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