来月上旬に希望の党と民進党が合流するようだが、かつては希望の党に希望を見出していた私としては、これを機に、希望の党の結党の理念を振り返ってみたい。
同党の政策内容がはじめてまとまった形で出てきたのは、去年の9月27日に発表された「綱領」だと思う。
綱領
我が党は、立憲主義と民主主義に立脚し、次の理念に基づき党の運営を行う。常に未来を見据え、そこを起点に今、この時、何をすべきかを発想するものとする。
- 我が国を含め世界で深刻化する社会の分断を包摂する、寛容な改革保守政党を目指す。
- 国民の知る権利を守るため情報公開を徹底し、国政の奥深いところにはびこる「しがらみ政治」から脱却する。
- 国民の生命・自由・財産を守り抜き、国民が希望と活力を持って暮らせる生活基盤を築き上げることを基本責務とする。
- 平和主義のもと、現実的な外交・安全保障政策を展開する。
- 税金の有効活用(ワイズ・スペンディング)の徹底、民間のイノベーションの最大活用を図り、持続可能な社会基盤の構築を目指す。
- 国民が多様な人生を送ることのできる社会を実現する。若者が希望を持ち、高齢者の健康長寿を促進し、女性も男性も活躍できる社会づくりに注力する。
当時は、主に保守の側から「フワッとして中身がない」などといわれていたが、少なくとも具体性のレベルでいえば、自民党のそれと大差ない。あちらの方が圧倒的に分量が多いだけで、結党60数年とわずか数日の差が出たまでである。
「寛容な改革保守政党」
ド頭で「世界で深刻化する社会の分断」に言及しているのが良い。要するに、欧米の移民問題やトランプ現象で強まった、もはや従来の保守対リベラルの構図では世界を捉えきれないという認識を示しているのであり、だからこそ「寛容な改革保守」などという、一見トリッキーなミクスチャーを標榜する。今まさに目の前にある世界的状況を、どう乗り越えていくか。当時の希望の党の中心人物である小池百合子東京都知事は、その年の6月に築地市場の豊洲移転問題に関して「アウフヘーベン」という語を持ち出したが、「改革保守」という語こそ、まさに「アウフヘーベン」なのである。
もっとも、そもそもの「保守主義」というのは、「改革の仕方」について、人間が頭で考えただけの机上の空論ではいけませんよ、とか、あまり急かずに一歩一歩安全を確認しながらやっていきましょう、ということなわけだから、「保守」と「改革」は矛盾するものではない。日本では「復古主義」や「既得権の保守」と混同されがちで、「保守主義者」を自任しつつ実際は単なる「復古主義者」でしかないような輩も多くいるので、困ったものだが。
注目すべきはその語順である。上記のような意味であれば、「保守的改革」とか「漸進的改革」とかいうべきだろうが、「改革保守」では良く分からないことは確かだ。これは、保守層に対するアプローチであると考えれば、合点がいく。あくまで「保守政党」であることをアピールしたいのであり、末尾が「改革政党」では、「排除する」はずの既存の左翼政党と同一視されかねない、という判断でこうなったのではないか。
「『しがらみ政治』から脱却」「税金の有効活用」「民間のイノベーションの最大活用」
2016年の都知事選での成功体験から、ワイドショー向けにもっとも強調したかったのは、2項の「『しがらみ政治』から脱却」だと思うのだが、これは要するに時代にそぐわない既得権は解体しましょうということだから、結局は5項の「税金の有効活用」のためであり、「民間のイノベーションの最大活用」のためである。
逆順でいえば、「民間のイノベーションの最大活用を図」るというからには、政府を小さくして、極力市場に任せるということに他ならないので、健全な市場競争を阻害するような公共投資は減らしましょう、結果、一定の既得権=「しがらみ」は無くします、となる。
ポイントは、これは必ずしもワイドショー視聴者層の要望に沿うこと、つまり、都政で話題になったような保育園の拡充とか満員電車の解消とか、生活に近いところに税金を振りなおす、ということを意味しないということである。小池氏は元来強力な新自由主義者で、ワイドショー視聴者層とはともすれば利害がぶつかることもある。そこを、「しがらみ」などのキーワードを使ってある種の錯覚を起こさせ、ギャップを見せないようにする、という手法を、しばしば用いる。
「国民の生命・自由・財産を守り抜き」「現実的な外交・安全保障政策を展開する」
のちに発表された公約には、「憲法9条をふくめ憲法改正議論をすすめます。」とあるが、この時点ではそこまでの具体性はない。しかしながら、充分に9条改憲への意欲が見て取れる。
当時私はこれを見て、あらためて小池氏が9条改憲論者であることを確認すると同時に他の野党とは一線を画することを確信したが、併せて、護憲系のマスコミを刺激しないだろうかと不安を覚えた。詳しくは後述するが、私はまさにその点が「希望の党つぶし」の原因ではなかったかと思っている。
「国民が多様な人生を送ることのできる社会を実現する」
「綱領」などというものはそれでいいのだが、この6項は大まかな方向性を謳っているのであって、具体的なことは何もうかがえない。
しかしながら、ここからは私自身の考えの開陳に過ぎないが、今後の社会において、多様性を認め、それを確保することは、次の二つの意味で重要である。
一つは、当然ながら、基本的人権の延長として、いろんな人の、いろんな考えや特徴の存在を認めなくてはいけない、という、いわば「正義」の問題。もう一つは、多様な能力や発想を確保しておかないと、何事も変化の速い現代社会では、国が持たない、という、「持続可能性」の問題。どちらも少なくともここしばらくの間に顕在化してきた切実な問題である。もちろん、即移民を受け入れよ、という話ではない。福祉、教育、社会風土、企業風土、労働環境などのタームだろう。
自民党の綱領には、多様性への積極的な肯定は出てこない。強いて言うならば、「我々が護り続けてきた自由(リベラリズム)とは、…(中略)…自由な選択、他への尊重と寛容、…(中略)…からなる自由であることを再確認したい。」のように、かろうじてそれらしい文面がうかがえるのみである。果たして本当に日本を新しい情勢に適応させる気があるのか、と、私などは思ってしまう。
面白いのは、「女性も男性も活躍できる社会づくりに注力する」と、性を併置するところで「男性」より「女性」を先に置いていることである。もとより「男性」が先に置かれるという習慣は、歴史的ないきさつによるのみであって、現代における合理的理由があるわけではないから、現代的な政党を標榜するうえでは、なかなかよろしい表現なのではないか。
まとめ
自民党、民進党、立憲民主党、維新の綱領も、ざっと目を通して見たが、それらと比較して、希望の党の綱領の特徴をまとめれば、
- 野党の先進性と
- 自民党の9条改憲意欲をあわせ持ちながら
- 新自由主義への意思を隠し持っている
といったところではないか。はやい話が、90年代の小沢一郎氏であり、その後の小泉純一郎氏であって、それはそのまま小池氏の経歴となっているのだ。
ちなみに、他党の綱領に関して気になったのは、討論番組などを見る限りでは、自民党にも先進的な政策を訴える議員がいるが、それが全く綱領に影響してないという点、維新の綱領が、意外におとなしいという点などだが、これらについてはいずれ書いてみたい。
次回は希望の党の公約を見てみよう。
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